2001.10.13 9:00 どど川のほとりで撮影 「高棚山」 宮内マキノ
戦前の小野地域は、農業を中心とした、池の沢山あるのどかな村でした。
村を東西に走る街道は讃岐街道・金比羅街道・国道11号線と名前をかえつつ、今は
重信川内線334号と呼ばれています。街道筋には、平井の駅、平井町商店街が出来ま
した。はりま塚の坂を越すところには、生目茶屋もありました。
北の山々では、秋には松茸が沢山とれて、平井駅の側の広場では、松茸市がたち箕
に裏白のしだの葉をしきその上に松茸を並べて、競り売りが開かれていました。
北梅や平井谷の山々には、蜜柑が植えられ秋には熟れた蜜柑を共同出荷のための
だるま組合が平井に設立されていました。蜜柑農家はお金持ちが多かったようです。
当時の小野村は、秋には茸狩り、蜜柑狩りで賑わっていました。平井駅には、当時を
しのぶ事の出来る郷土の俳人正岡子規の句碑も建っています。
時代の流れの中で、小野地区も変貌しました。地名も村から松山市になりました。
専業の農家は少なくなり、勤めに出る人々が増えました。また、田んぼには家が次々
と建ち人口が増えました。生活様式ががらりと変わりました。
昭和の初め頃、荷馬車が通っていた国道は、県道に名称が変わりました。今は昼夜
ひっきりなしに通る自動車で道には信号もつき街灯もつきました。
戦前の太尺寺の演習場や内田園は、自衛隊駐屯地となりました。村には1〜2軒
だった病院も沢山出来ました。近いうちに四国ガンセンターも出来ます。
北の山々には鉄柱が沢山建ちましたが、小野一高い高棚山(たかとうさん)や、続く
山々の姿や形は昔日のままです。 破壊された所がなく心が和みます。
小野を歌った大正4年に作られた「小野村の歌」 と 戦後に作られた「小野村音頭」を紹介します。
「小野村の歌」は、作られた当時から昭和の初め頃までロングセラーで歌われていたそうです。
また、小野村音頭は小中学校の運動会で数年間全校生徒で踊りました。これらの歌から、小野地区
の歴史を懐かしく思い出すことが出来、小野地区の風景や生活ぶりを振り返ってみることも出来ます。
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