享保17年(1733)、大飢饉の慰霊塔
48番札所 西林寺
萬死霊塔の説明板
四国八十八ヶ所、第48番札所・西林寺に向かう道ばたに、「當郷餓死萬
霊塔」という石碑を見つけました。享保の大飢饉のことは聞いたことがあり
ますが、具体的に餓死者が何人出たかなどは知りませんでした。松山市制作
の掲示板にある説明文を次にあげました。
當郷餓死萬霊塔
享保17(1733)年、西日本一帯が大凶作で、大飢饉となった。特に被害
が大きかったのは南街道で、中でも松山藩は餓死者が最も多かった。
春から長雨が続き、五月には麦の腐敗や河川の氾濫で、収穫は皆無
となった。さらに、六月、七月と続く降雨で、病虫害が発生、特にウ
ンカの異常発生により、イネはほとんど枯死した。この年の松山領内
の餓死者は3489人に及び、牛馬も約3000頭が餓死したと伝え
られる。高井村の約半数の人々が餓死とも伝えられている。
松山藩でも、いろいろな対策をしたが及ばなかった。筒井村の義農
作兵衛が麦種を枕にして餓死をとげたのは、この年の九月のことであ
る。
餓死者の慰霊として、当郷の者が建立したものであるが、この碑が
発見された時、すでに破損していて建立の日は不明である。
写真 松山市南高井にて 平成18年10月 渡部英綱