有 島 武 郎 記 念 公 園
北海道ニセコ町
 大正時代を代表する白樺派の作家として知られ
ていた武雄は、父から広大な農地を引き継ぎ所有
していた。羊蹄山を望むこの土地は、小説の舞台
ともなり、ヨーロッパ旅行でゲーテの墓を訪れた
際には「我死せば、しるしばかりの石を羊蹄山の
麓に立て、我が亡骸を其の下に埋めよ。」と日記
に記したほど、忘れ難い場所であった。

 しかし、アメリカやヨーロッパの留学を通して
自らの思想を追求してきた彼は、小作人の耕作し
ているこの農場が、自分一個人の所有であること
に大きな矛盾を感じずにはいられなかった。・・・・
大正12年 (1922) 7月18日、134万坪(444ヘクタール)
を越える広大な農地、{有島農場}のすべては、
農民全員の共有地として無償解放され、社会に大
きな反響を呼んだ。

 後に設立された「狩太共生農団」は、団員の合
議制により、相互扶助の思想に基づいて経営され
た。やがて戦後の農地改革で解団されるにあたり
故・農場主有島武雄を偲び、その思想を後世に伝
える為に、「有島謝恩会」を結成、農場事務所の
一部を「有島記念館」として、維持管理に当たっ
たが、昭和32年、不幸にも焼失した。昭和38年に
は、有島謝恩会が中心となり「有島記念会館」を
再建。さらに、昭和53年・ 生誕100年を記念して
ニセコ町が今の様な美しい記念館と公園を整えた
ものである。
写真 ニセコ有島武郎記念館にて
        18年9月 渡部就子