播 磨 塚
 松山市の東端、県道334号線(旧国道11号線)の通る温泉郡重信
町との境界にある丘陵一帯を播磨塚と呼んでいます。
 昔々、その又、昔々の古墳時代の
ことです。
 古事記と日本書紀に記されている
「二王子の発見」の功績により、
「来目部小楯」は、播磨の国司の任
みちた時、山部連を賜り、郷里の久米
郡に帰りました。
 そして、この地に住み、この地は
豊かに栄えました。
来目部神社の森
  播磨塚橋の橋桁
昔は赤坂と言うきつい坂道・
現在は暗渠になっている。
文政4年(1821)3月建立
「金毘羅大門へ」28里の道標が立って
おり、讃岐街道・金毘羅街道と呼ばれて
いた頃の名残をとどめている。
      来目部小楯の顕功碑
     大正10年4月23日建立
 播磨塚の古墳群に、来目部
小楯の墳墓といわれる、
「はりまさま」がある。
 いつの間か、お地蔵様にな
っており、お供物もある。
「はりまさま」の古墳があっ
たことに由来して、この地を
「播磨塚」と呼んでいます。
     広い草原の中に小さな祠(ほこら)
松山市南梅本町にて 写真・資料 宮内マキノ
と呼んでいる。
この祠を
「はりまさま」