えんどうの花咲くころ
正岡子規の名は常規(つねのり)ですが、幼少のころの呼び名は
「処之助(ところのすけ)」でした。「ところてん、ところてん」
とからかわれてはかわいそうだからと、学校へ上がる頃、祖父が
呼び名を「升(のぼる)」とつけました。それからは、みんなが
「のぼさん」と呼びました。
明治13年(1880)松山中学校に入った升は、友達と漢詩を作って
発表しあったり、意見を述べ合う演説会をしたりしました。升の
考えにみんなが応援してくれて、升はうれしさで一杯でした。
松山には中学校より上の勉強をする学校がなかったので、東京
へ行って日本一の学校へ入って勉強しようと思いました。
今月の末には柳原君も東京へ立つという・・・・このままじっとし
ていたらみんなから遅れてしまう、どんなにしたらよかろう・・・
あれこれ思うのですがいい考えがうかびません。
升(のぼる)が松山中学校をやめる決心をしたのは、
明治16年(1883)の、えんどうの花咲く五月でした。
のぼる
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旅立つ正岡子規
おじの加藤恒忠からとつぜん「東京にくるように」という手紙
がとどきました。
明治16年6月10日の朝、三津から船に乗り、神戸で乗りつぎま
した。
そして、6月14日の朝、東京につきました。升(のぼる)、数え
年、16才の時です。
東京へ旅立つ升(のぼる)のために、母の八重(やえ)は夜通しか
かって、新しい着物を一枚ぬうてくれました。
「わらじ」のひもをしめる旅立ちの朝の正岡子規の像
2003.01.25 撮影 松山市にて 宮内 マキノ