砥部焼きの歴史
明治時代
 明治時代になって砥部は、砥部焼きを始め各種の産業も
発達し、近代化を進めた。
 新しい時代にふさわしい

砥部焼きをつくろう!世界に

  目をむけるのだ!!
 伊達幸太郎を京都に留学させたり、城戸徳蔵と向井和平が協力して、砥部
焼きを輸出させた。
 中国の建窯の焼き物に魅せられて、熱心に研究をかさねた。
 1890年、向井窯
で、できた!
美しい
クリーム色
 この焼き物は、淡黄磁と名付けられ、1893年、シカゴの世界博覧会で
1等賞にえらばれた。
昭和初期
 世界的不況が広まり、砥部焼きも廃業する。窯元が続出、不況の一路をた
どった。戦争による軍需産業や経営の合理化もあり、活気を取り戻したかに
見えたが、企業整備の国策の影響が大きく輸出も全く止まってしまった。
昭和19年
 「企業整備令」で焼成を続ける窯は、梅野窯、砥部陶業株式会社、陶磁
器工業工業組合、共同工場、工藤窯のわずかな4窯となり、細々と生産を
続けるしかなかった。それでも陶煙は絶えなかった。