遥 か な 日
昭和20年8月21日、私の勤めていた拝志国民学校は夏休み中の全校登校日で
あったと思う。そして、この日は上村のお寺に本部をおいていた海軍の牧野部隊
の解散の日でもあった。主計兵5〜6名と、記者2名は学校に宿営していた。
戦争「重信の人々は・・・」の
企画展が平成7年11月から
平成8年2月にかけて、歴史
民族資料館で開催された。
戦後50年二度と起こっては
ならないために語り継ぐと。
今も目に残る風景?
お別れの日の特攻機
(零戦)の様子を思い
出しつつ描いてみた。
遠い日の日記のから
8時半、飛行機は上村からとびたった。学校の北の重信川の上空に来た。低空、
低空。運動場へ出て思いっきりハンカチを振った。飛行機からも手をふりだした。
すぐ翼をふり始める。---さよならと--- また、低空。必死でハンカチをふった。
エンジンの音が止まった。と、見る間に「ガチャン」という音をたてて河原に落ち
た。一瞬、ぼう然となったが裏の方へ行ってみる。子供達も多く走っていった。
飛行服を着た搭乗員が出て来た。「松岡中尉」ですと、「斎藤少尉は」と尋ねてい
る。また一人無事で出て来た。そして、「おさわがせしました。」とにこにこ挨拶、斎
藤少尉。二人とも無事だった。斎藤少尉が本部の上村へ行くと、私の自転車をかり
にくる。
暫く静かだったが、飛行機の音が聞こえてきた。河原の上を旋回、低く低くとぶ。
一生懸命手をふった。やがて見えなくなった。
学校の門の前に軍隊のトラックが来て止まった。見送りに出た。学校に宿営して
いた主計兵の専任伍長酒井さんが乗っていた。こちらを見て敬礼された。おじぎ
をした。トラックは動き出しハンカチをふった。帽子をふられた。ふる、ふる、ふる。
最後におじぎをして、とうとう見えなくなった。
飛行機もトラックも、東に向かって去っていった。
フクスケさん(糸賀さん)、ノンキヤさん(加藤さん)のお見送りは出来ず残念だっ
た。この人たちは、朝日の記者と言っていたっけ?
8月15日の玉音放送から、残務整理、そして6日めの朝、兵隊さんたちは解散し
一人残らず引き上げていった。
企画展では、飛行機は「白菊」と呼ぶ練習機一機。牧野部隊本部の看板とお皿
が名残り。17歳前後の予科練習生が飛行場を作り、ほぼ100日で終戦とあった。
この日の私の自転車は、前輪はホース、後輪はリヤカーのタイヤです。通勤のために父が自転車の本体
を工面してきましたが(配給)、タイヤの配給がなく自転車屋で無理して作ってもらったものです。
写真・絵・文 宮内マキノ