掃部山公園(かもんやまこうえん)
井伊大老の像は、丘の上に一きわ高く聳え
横浜の港の海に向かって立っている。直弼が
条約に調印した翌年、横浜・長崎・函館を開
港し貿易を開始した。(1859)
横浜市地域史跡
井伊掃部頭ゆかりの地
平成5年11月1日登録
横浜市教育委員会
井
伊
大
老
の
像
こ
の
木
立
の
続
き
の
丘
に
あ
る
掃部山公園(かもんやまこうえん)は、紅葉ケ丘にある由緒ある公園。
幕末の大老「井伊直弼」の末裔である井伊家が所有していた園地を大正3年(1914)
に市に寄付し造成された。春は、桜の名所として人々が集い、夏には、茶の通人であった
井伊直弼にあやかった茶会が開かれる。
県立音楽堂や図書館、能楽堂などが、この近くの小高い丘一帯に広がっている公園。
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井伊直弼について 1815〜60
彦根藩主。 1858年大老に就任。 同年勅許を
得ず通称条約に調印した。将軍継嗣問題で徳川
慶福(よしとみ)を推挙し14代将軍とした。この二
つの問題がからみ改革派と保守派が対立し激し
い政争が展開された。
安政の大獄とよばれる大弾圧で、徳川斉昭・
松平慶永に隠居を命じ、橋本左内・吉田松陰らを
死刑に処した。直弼はそのため攘夷論者の恨み
をかい、1860年桜田門外で水戸の浪士などに暗
殺された。直弼は、開国と安政の大獄で有名。
能楽堂の立派さに大変驚きました。
2000.03.19 撮影 宮内マキノ