お 茶 屋 井 戸
三津浜小学校正門付近
お茶屋井戸のある場所
参勤交代当時のお茶屋井戸
現在のお茶屋井戸
松山市立三津浜小学校の校庭に、藩政時代から「お茶屋井戸」と呼ばれている
歴史的な文化遺産がある。
江戸時代、三代将軍家光のとき(1635)、幕府は全国統一を完全なものにする
ため、大名は一年おきに江戸と領地に住まなくてはならず「参勤交代」は、藩の財
政に大きな負担となった。参勤交代の出発地は三津の港であった。
熟田津に船乗りせんと月待てば
潮もかなひぬ今はこぎ出でな 額田王
三津浜の場合も潮待ちが第一の理由であったろう。衣装替えをしたり、食事や仮
眠をとるなど、いわゆる休憩、休息の場(お茶屋)が必要となった。三階建ての立
派なお茶屋が完成したと伝えられている。
お茶屋は料理やお茶を出す所で良い水は不可欠であった。この地から良質の
真水が出たので、井戸を掘った。これがお茶屋井戸と呼ばれているものである。