我が国最初の法学博士・穂積陳重(ほずみのぶしげ)
 穂積陳重は、1855年(安政2)年に生まれ、7歳で藩校明倫館に学び優秀な成績をおさめた。
 陳重は、16才の時に開成学校(東京大学の前身)に進み法律を学ぶ。成績優秀で卒業と同時に
国費でイギリスに3年間諸法制を学び、続いて2年間ドイツのベルリン大学に学んだ。明治14
年に帰国、母校東京大学法学部の講師となり民法を担当した。明治15年には、教授兼法学部長
となり、33才でわが国初の法学博士になった。陳重は、大学の講義を日本語に改め、わかりや
すい講義に切り替え多くの後輩を育てた。
 明治24年、来日中のロシア皇太子が一巡査に傷つけた「大津事件」の時、先輩の大審院長・
児島惟謙に意見を求められたのは有名な話である。
「穂積橋」については、先生の功績を記念して銅像を建てようと言う気運が盛り上がり、穂積
家に尋ねたところ「老生は銅像にて仰がるるより、萬人の渡らるる橋になりたし」との話があ
り断られた。それで、改築中の橋に先生の名前を使うことの了解を得て、穂積橋が誕生するこ
ととなった。写真の記念碑は、平成4年7月に建てられた。
 筑波大学には、穂積陳重先生と長男の穂積重遠先生の「穂積文庫」がある。
写真 愛媛県宇和島市にて 平成13年7月 渡部英綱