(へんろ橋コ−ス)
道後村めぐり
松山市 道後 常光寺町 〜 姫塚
(11) 風土記 の 丘
( 10番の東野御茶屋跡から、9番のへんろ橋まで約 1.3キロメートルほどの道のりを逆もどりし、橋を渡ってその
まま 真っ直ぐ北に向かって 400メートル行くと石手寺門前に着く。石手寺境内へ入り、右手の宝物館へ行く途中
の裏手、奥まった所にある小さい門(出口)から外へ出ると、昔ながらの静かな道に出る。そこを左に折れ、
寺の垣根に沿って、北〜北西向きに山の方へ上って行くと、大きなマントーラが見える。その辺りから伊佐爾
波神社に至る丘陵地帯を風土記の丘と呼んでいる。・・・句碑とスタンプ台は、マント-ラの少し手前の道端。)
(寺を通らずに道路から行くには・・・たとえば自家用車で・・・石手寺の門前の国道317号線を、100メ-トルほ
ど東へ行き、バス停・公民館前の所で左折、北へ約30メ-トル行き、突き当たりの大山積神社入り口で左折、西へ
約10メ-トル行くと、石手寺の小さいが古めかしい二つの門に着く。そこからは、上記3行めへ続く)
狸
通
か
く
て
な
ほ
風
土
記
の
丘
を
薫
風
や
スタンプ台
スタンプの句(富田狸通)
上段(スタンプの句碑)
下段(伊予みかんの開拓者・河野房五郎の顕彰碑)
〜〜〜 風土記って? 〜〜〜
地方の風土や文化等をしるした地誌の総称のこと。奈
良遷都の直後(和銅6年・713年)「諸国の地理、物産
地名の由来、民間の伝承などを記録して朝廷に奉るよう
に。」との下命により編纂されたとみられる「出雲風土
記」(天平5年・733年2月30日の日付)が、唯一、完全
本として残されています。これと、成立の年代とか完全
ではないけれど、「常陸−−」「播磨−−」「肥前−
−」「豊後−−」の四風土記を併せて、{古風土記}と
呼ばれています。
マントーラ と その内部に祀られる 五百羅漢の一部
風神・雷神の木像(石手寺の東の出口)
伊予の風土記・・・愛媛県の古代を知る最古の書物と
いうことですが、残念ながら編纂年代や責任者は不明で
す。本も残っておらず、鎌倉時代の「釈日本記」「万葉
集注釈」の中に、「伊予国風土記にいわく、・・・」と
記す逸文がわずかに残るのみ。その中に (1)伊予の湯
の由来、(2) 天皇の行幸・伊佐爾波の岡の由来・湯の
岡の碑文、(3) 天山の名の由来、(4)〜(7)に大三
島の大山積の神や造船の事、神功皇后と斉明天皇の御歌
などがあり、1.2の温泉の記事は、全国的にも貴重な
古代温泉文学資料と言われています。
風土記の丘を訪ねて、とても残念に思ったのは、・・・期待に反して
荒れるに任せた一帯の様子でした。何とか手入れが出来ないもの
でしょうか。 どちらへお願いすれば・・・?
写真 渡部英綱・川西真美