(へんろ橋コ−ス)
道後村めぐり
松山市道後姫塚 
(6)義 安 寺
(伊佐爾波神社正面石段を下りきった地点より左(南)へ約120メートルで県道
 187号線に出ます。そこから左(東)へ約150メートル進むと、義安寺前バ
ス停があります。左手、小高い所に山門が見えます。徒歩で約10分 )
宝筺印塔(右が道時・左は娘の墓標)
本 堂
スタンプ台
スタンプになっている句と句碑















お六部さま
誓いの泉
正面山門と石段
横参道の坂道と山門
ほうたるこーい、ぎいやんじ       
  あっちのみーずは にーがいぞー    
    こっちのみーずは あーまいぞー
      ほーたるこーい ぎーやんじー 
文政4年の道標
 子供の頃よく歌ったものです。「ぎーやんじー」
が、まさかここ義安寺だったとは・・・。大型の蛍
「源氏ぼたる」の名所だったことからこの句碑が建
てられました。(芭蕉のこの句は、この地で詠まれ
たものではありません。)    
「お六部さま」には、昔、伯耆の国の友平という人
が業病(難病)の娘を連れ、行者(六十六部衆)と
なって諸国行脚の末、この寺にたどり着き、動けな
い娘を寺に預けて八十八カ所を巡った悲しい話が伝
えられています。茶守をしてここで果てた友平の、
六部姿を浮き彫りにした墓の上にお堂を建て祀って
あります。あらゆる願い事を叶えてもらえるとの信
仰から、年中、お参りの人が絶えません。
 中世(鎌倉・南北朝・室町時代)の伊予の国最大の豪族・河
野家の菩提寺として建てられました。河野氏は瀬戸内海を一望
の下に見渡せる高縄山に居城を構え、湯の里道後に別館(湯築
城)を造って一国を守っていました。        
 元寇の乱に名を馳せた河野道有は、弘安の役(1281)に伯父
道時と共に出陣、目覚ましい戦いで敵の大将を生け捕りにしまし
たが、伯父は戦死、自分も傷ついて帰り、道後の湯で治療したと
のことです。道時の遺骨を埋葬した墓と、父の墓守をしながらこ
の地で生涯を終えた姫君の墓(姫塚)は、寺の東側墓地の最上段
高い山の斜面に、苔むしてひっそりと700年の刻をきざんで立っ
ております。
 菩提寺に湧く清水「誓いの泉」は、秀吉の四国攻略(1585)に
依って領国を失い、領主河野道直の死(1587)に直面した家臣ー
同が「二君にまみえず」の誓いのもとに自刃して果てたというい
われの残るものです。永く続いた河野氏の滅亡でした。
 渡部就子   写真 渡部英綱