(へんろ橋コ−ス)
道後村めぐり
松山市畑寺町
(10) 東野御茶屋跡
(へんろ橋から南方向へ約400メートル進み、道の左側にあるエフコ東野
店を目じるしにする。店の手前を左折して、東へ約500メートル行き、果
樹園を過ぎた所で右折して南へ約100メートルの所。徒歩20分。左手に愛
媛県研修所・愛媛農協学園の建物、右手に農協神社がある。)
(スタンプ台は神社の前を過ぎた所の句碑のそばにある。)
句碑
ふ
る
さ
と
の
こ
の
松
伐
る
な
竹
伐
る
な
高
浜
虚
子
スタンプの句(高浜虚子)
琵琶湖に似せて造られたという池
スタンプ台
池をめぐる小道と竹垣
観音堂
閑
古
鳥
子
規
竹
の
お
茶
屋
の
人
も
な
し
正岡子規の句
句碑は竹のお茶屋跡の下にある
記録によれば、松山藩祖・松平定行の隠居所として、万治2年(1659)〜寛文
元年(1661)の間に、庭園及び御殿が造営されたとのことです。設計者は千宗安
で、東野から畑寺町まで周囲4q余りを竹垣で囲み、ミニ東海道五十三次の宿場
を置いて、道筋に松並木、竹林、所々に茶室、琵琶湖に似せた池には橋を架け、
北側の小丘(実は古墳)に竹の御茶屋が建ててありました。名前の通り、屋根や
柱・縁・道具など全て竹でできていたという凝りようで、その風雅な趣が想像で
きます。今その跡に上ってみると、夏草に覆われて素朴な石の土台と石段が残っ
ておりました。また、御殿の周辺には杉の馬場、桜の馬場、風呂のお茶屋、京都
の清水寺を模した観音堂なども設けられていたそうです。
この一帯には、大小100基を超える古墳が有りました。昭和 50年代の 数回の
調査によって、直径6〜10メートル の周溝をもつ円墳も20数基発見され、5世紀中
ごろの群集墳と考えられているそうです。(上記二点により、県の史跡に指定)
東野の道ばたに建てられた「遺跡案内板」を見ると、今日史跡「お茶屋跡」と
して私達が巡り歩いている部分は、かつての広大な全域のほんの一部に過ぎない
ことがわかります。池の水は静かなみどりをたたえ、蝉時雨を浴びて、手の平ほ
どのカイツブリのひなに、母鳥が潜水の特訓中でした。
愛媛県研修所・愛媛農協学園の
入り口付近
写真 渡部英綱