(へんろ橋コ−ス)
道後村めぐり
松山市石手 2−9
義安寺より東へ約900メートル、徒歩15分
(7)石 手 寺
スタンプ台
スタンプになっている句と句碑(前田伍健)
本堂(鎌倉期・文保2年・1318頃の
建造)は国の重要文化財に指定
線香の煙漂う鐘楼堂(1333・元弘3年)
と堂内に懸かる梵鐘(1251・建長3年)
はいずれも国の重要文化財に指定
両側にずらりと土産店の並ぶ回廊・屋根付参道
三重の塔(1318・文保2年再建・高さ
24.1メートル )数少ない鎌倉期建築様式
の塔婆遺構として全国的にも貴重・国
の重要文化財に指定
マントーラ(中に一歩踏み入ると堂内
いっぱいの五百羅漢像に迎えられる。
自分の親の顔がどこに・・・・・・)
大仙窟入り口(約30メートルの暗黒の地下道へ・・・己を見つめ、
精神宇宙に光明を求める仏心の道は、なだらかな登り道になっていて、
マントーラのある風土記の丘へと続いていく。)
楼門・仁王門(鎌倉期・1318・文保2年頃
の建造)は国宝に指定され、中に祀られる
金剛力士像(仁王像)は県指定の文化財。
見事な大わらじも奉納されている。
若き大師像(1984・昭和59年建立・高さ
16メートル)は、境内の東側山頂にすっ
くと立ち、その姿は遠くからも望むこと
ができる。
写真 渡部英綱
神亀5年(728年)に聖武天皇の勅命により安養寺を建立、翌年行基
菩薩彫刻の薬師如来像を本尊として祀ったのがこの寺の始まりです。
弘仁4年( 813)弘法大師が訪れて真言宗に、寛平4年( 892)には、
寺名が「石手寺」に改められました。これは、城主河野家に生まれた
赤子の固く握りしめていた左手から「衛門三郎」と書かれた石が表れ
たという伝説(詳細は9番「へんろ橋」参照)に由来するものです。
隆盛期には、七堂伽藍が完備して、六院家・三十二坊の末寺、広大
な寺域を有する立派な寺院であったことが、木版や古文書に遺されて
います。その陰には代々の城主(河野氏、加藤嘉明、蒲生忠知、松平
氏)の保護・寄進・修復といった大きな力・支援がありました。
石手寺は、四国霊場51番札所「石手のお大師さん」として親しまれ
毎月、20・21日の縁日はもとより、年間を通じてお参りの人で賑わっ
ています。