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大種田の 名残とどめぬ生家あと
「蛍」の句碑に しぐれ降りしく
「 生まれた家はあとかたもない ほうたる 」
故郷は 彼に冷たかりしか
赤松宜子
生家跡に建てられた
句碑と赤松宜子さん
うまれた
家は
あとかたも
ない
ほうたる
山頭火
雨ふるふるさとは
はだしであるく
山頭火
種田山頭火(1882〜1940)
(たねだ さんとうか)
※ 自由律の俳人
※ 明治15.12. 3.
山口県防府市に大地主の
長男として誕生
(本名 種田正一)
※山口中学から 早稲田大学
文学部 文学科に入学
※卒業を4か月後に控え、家
庭の事情等で中退、市内大
道にて父と酒造業を営むも
明治44年に破産、一家離散
妻子をつれて熊本へ
※大正3年、荻原井泉水に師
事し、自由律俳句を学ぶ
※大正13年、報恩寺にて禅を
修業、14年に出家得度して
みどり観音堂の堂守を1年
2か月、そして行乞流転の
旅に・・
(九州・四国・中国の幾山
河を漂白しつつ、句作に
精進 )
※昭和7年9月、歩き疲れて
山口県小郡町矢足の其中庵
(ゴチュウアン)に定住し、全
国各地の旅にも行く・・
※昭和14年9月、余命いくば
くも無いことを予感したの
か、其中庵を捨て、死に場
所を求めて広島から松山へ
・・・大山澄太の世話で、
高橋始を頼って、松山市御
幸1丁目の「 一草庵 」に
落ち着いた。
※昭和15年10月11日 没59才
写真 赤松宜子さん提供