播磨塚古墳
寛永6年(1629) 松山城主 蒲生忠知の徳威原の開田により、438
町歩を得た。その潅漑用水を確保するため、播磨塚の蓮華渓に南梅本
の葉佐池を築造した。農業は盛んになり農民はうるおった。しかし、
史跡四散のはめとなった。
播磨塚には集合古墳15基があっ
た。明治32年(1955)内田梨園の開
園の頃6基となる。このあと、村
上・木田の蜜柑園を経て、昭和30
年(1955)陸上自衛隊駐屯地になっ
た時点で、すべてを取り除き1基
のみの残存となる。
自衛隊内の南東の隅に、美しい
姿で残る横穴式巨石古墳です。
播磨塚古墳 高松塚古墳
奥行き 135センチ 165センチ
石室巾 165センチ 103センチ
天井高 175センチ 113センチ
型 式 横穴式 横口式石カク
古墳の入り口 玄門 高さ120センチ 巾上80センチ下100センチ
この古墳の中に入ってみると、正面の壁
は、巾150センチ・高さ170センチの1枚の大きな
石で、側面は、奥行き135センチ・高さ170センチ
のそれぞれ1枚の大きな石である。内面は平
らに加工されて、組み立てられてある。
また、朱を塗ったのではと思われる所も見
られる。
播磨塚古墳の特色は、巨石古墳である。
来目部小楯の墳墓と言われる「はりまさ
ま」の古墳は、古老の話によると、タテ3メートル
弱、ヨコ4メートル弱の巨石で、上で遊び飛び下り
ることが出来なかったそうである。
写真・資料 宮内マキノ
大人3人が中で見学中