富田狸通さん
明治34年2月1日の温泉郡川内町生まれ、本名 寿久。
松山商業、明治大学卒業、伊予鉄道に入社。

松山坊ちゃん会会長、松山子規会副会長などの他「ゆうもあくらぶ」「松
山インパネスを着る会」「愛申会」「松山連句会の世話役」また、南海放
送の「狸のれん」のナモシの時事放談など、松山の文化の育成に尽くし
た。

伊予鉄での先輩 前田伍健さんの川柳のユーモアと俳諧の友情、俳柳も実
を結んだ。「野球拳」は、松山城祭りの楽しい行事として毎年多くの人が
参加して賑やかに行われています。発案者の前田伍健さんなきあとを継ぎ
野球拳の家元を継いだ。

著書に「たぬきざんまい」
たぬきして とぼけて まぬけて

       おもしろ おかしく 暮らしたい
幅広い趣味人、俳人、タヌキ研究家として知られる、狸通さん。
集めた狸のコレクションは数千点といわれる、狸通さん。
そして、松山の顔、狸通さん。伊予の顔、狸通さんである。

道後町に住み、道後温泉の振興にもつとめ、朝湯の愛好家であった。

作成された8ミリ映画に聖徳太子の幻の句碑さがしを「あるやむかし」
と題して作られたものが残っています。
 
                           2002/04/06  宮内マキノ