か  とう  よし あき
時代  1563(永禄6年)〜1631(寛永8年)
加 藤 嘉 明
主な仕事
   秀吉に仕え、賎ケ岳7本槍の一人。
  数々の武功により、秀吉から、伊予正
  木(松前)城主として6万石をさずか
  る。秀吉死後徳川家につき、関が原の
  合戦での功績が認められ、伊予松山20
  万石へ加増・国替えとなる。 
  1602年松山城築城に着手、26年の歳月
  をかけて完成させた。   その後家
  康配下として忠実に勤めた功績が認め
  られ、会津40万石の大名になる。
エピソード
   1622年(元和8)徳川二代将 
  軍秀忠の長男、家光(19歳) 
  の鎧始めの儀式(鎧に始めて袖
  を通すこと。成人式のようなも
  の?)に介添え役として抜てき
  された。
資料  以下のホームページより
       日本史人物列伝
       松山城400年祭公式HP
       www.ryusaku-kuroya.net/part4d.htm
出身地  三河(愛知県)  
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